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令和5年夏期入峯修行②裏行場~一日目終了

前回入峯修行のブログからひと月以上が経ってしまいました・・・(^^;)
記録的な猛暑が続いていますが体調を崩さないように用心して過ごしてください。
さて今回は前回の続き「裏行場」からスタートです。

今回の入峯の大きな目的がこの裏行場。
昨年までの数年間、天候に恵まれずに裏行場を行じることが出来ませんでした。
その為、今年度は新客さんの受け入れを制限させて頂いて裏行場に行けていない過年度の新客さんに裏行場を行じて頂くことが大きな目的です。

表の行場である「鐘掛け岩」「西の覗き」は多少コンディションが悪くても経験を積めばお連れすることが出来ますがこの裏行場は全くの別物です。
コンディションの悪い中無理をしたり少しの気の緩みで命に係わる重大な事故につながりかねません。

経験を積んだ山先達の案内が必須となります。
読者の皆様もブログや書物を読んで勝手に入行されないようにくれぐれもお願いします。
裏行場修行を希望の方は山上の宿坊へお声がけください。
体調やコンディションに問題が無ければ案内頂けます。

裏行場の最初は「不動の登り岩」(流れ岩)とも。
一見それ程の高さも無く何でもなさそうな岩場ですが注意事項を守らないとケガをしたり事故の多いところです。
裏行が魔事なく遂行できるように九字を切って進みます。
不動明王は初発心を護り導いて下さる仏様。
先ずお不動様に取り付いて裏行へ入らせて頂きます。

次いで修験道の擬死再生の世界観をよく表す「胎内くぐり」へと進みます。
擬死再生とは峯中を他界または胎内と感じて修行し、これまで犯した一切の罪穢を浄化していったん死んで生まれ変わる事で、胎内くぐりはその観念を象徴的に実践する行場。
ひとくくりに「胎内くぐり」と呼ばれることも有りますが、【押し分け岩】【護摩の岩屋】【胎内くぐり】の3つの行場に分かれます。
護摩の岩屋は役行者がお護摩を修したと伝わり、中には役行者と不動明王がお祀りされています。

胎内くぐりを抜けてぬかるみの中の飛び石を超えるとお厩(うまや)と呼ばれる広場に出ます。
ここは役行者が修行の折に滞在をした場所といわれ、鏡石・袈裟掛け岩・衣掛け岩など役行者ゆかりの名称を持つ岩が沢山有ります。
中でも巨岩の隙間に役行者のブロンズ像が祀られている場所にはかつては「背比べ石」とよばれる役行者と同じ背丈と伝わる石が聳えていたのですが近年崩れてしまって代りにお像がお祀りされるようになりました。

お厩から進むと「賽の河原」と呼ばれる場所が有ります。
地蔵菩薩がお祀りされたその場所には後生の功徳や逆縁の子供たちの為の仏塔を作る作業として石を積むのを習わしとします。
このお地蔵さまは大峯山内でも最も古い部類に入る金仏だそうです。

因みにこの写真は和楽器バンドのメンバーさんをご案内した時のものです (^^)

賽の河原を過ぎ、「天の川」と呼ばれる岩の割れ目を見ながら少し進むと「裏のお亀石」が現れます。
表の行場のお亀石と同様に触ったり踏んだりしてはいけないとされますが、表行場の様に柵で囲われたりはしていないので先達から指導を受けなければそれとは気づかないかもしれません。

その後、「背負い石」という大岩を背負うように進みます。
この大岩は自らの業とも、修行の資格の無い物は押しつぶされる関所とも伝わります。

背負い石の先には「大黒岩」が有り、その名の通り大黒天がお祀りされていて福徳を祈りますが、実はこの場所が「小篠大黒」の遥拝所で有る事を知る人は案外少ないです。

大黒岩を超えて暫く進むと「飛び石」と呼ばれる行場です。
今は鎖をつかんで岩場を超えるのみですが、昔は写真に見えている役行者がお祀りされている岩場へ飛び移り、さらにその奥に聳える「東の覗き岩」へ取りついて覗きの行が行われていました。

現在は事故が多く危険なため、東の覗きの修行は禁止となっています。
二枚目の写真は東の覗きを横から写したものです。
上多古川源流の谷筋が遥か下に広がっています。

飛び石を超えると「蟻の戸渡」です。
切り立った岩壁を横掛けする難所です。
谷側は木が茂っているため高度を感じにくいですが大変危険な行場です。
山に慣れていない人ほど危険度に気づかずに安易に考えがちですが、山に慣れている人は最後の平等石よりも緊張する行場です。
実際に裏行場での命に係わるような事故はこの蟻の戸渡や前記の飛び石で起こっています。

先達の指示に従って足や手の運びに集中して行じなければいけません。
かつては「ゴトゴト石」というぐらつきの有る石を手掛かりに上っていましたが落ちてしまったようで現在は無くなっています。

蟻の戸渡を超えるといよいよ裏行場のクライマックスとなる「平等石」です。
断崖に突き出た岩を抱える様に廻る行場です。
一歩間違えば遥か谷底へ真っ逆さま。新客さんは一様に緊張した面持ちで行に臨みます。
が・・・昔はこの岩を背にして谷底を望みながら廻ったとか・・・
自分絶対無理です・・・。

ここからの視界は開けて、上多古川の源流部の竹林院谷と阿古滝谷の分岐から洞門滝方面への大きな谷が広がっています。
阿古滝谷の途中にみえる岩壁が後の歌詠みに出てくる阿古滝です。

☆阿古滝の詳しいブログはこちらから!

平等石の行場を終えて辿り着くのは「元結どり(もっといどり)」とか「髻岩(もとどりいわ)」と呼ばれる場所です。
元結とは髻(もとどり)を束ねて結わえるコヨリの様なもの。
髻は髪を登頂で束ねたもので簡単にいうと髷の様なもの。
この元結を外したり髻を切り落とすと髪はザンバラになり、死者と同様になります。
この場所は新客が切り取った髻を納めて生まれ変わりの儀式を行った場所です。

ここでは
「平等石 廻りてみれば阿古滝の 捨つる命も不動倶利伽羅」
と歌詠みをします。古くは「捨つる命」ではなく「人の命」と詠まれていた記録も有ります。

ここで先程平等石から眺めた阿古滝が出てきます。
阿古滝の謂れや阿古が意味する意味などは先達から教えてもらってください。

この場所から暫く進むと山上本堂の裏手から眼洗い行者さんの祠へ出ることが出来ます。
行場を行じた新客はここで度衆と落ち合って山上本堂へ共にお参りをさせて頂きます。

今年は師僧の息子さんが山上本堂(大峯山寺)に代僧として上がってるので一緒に記念撮影。

昨日の台風の事も有っていろいろ情報を教えて貰ったりとお世話になりました。
この後、宿坊まで降りてきて夕食も一緒に頂きました。

天気も良かったので山上本堂からお花畑へ。
時間的に余裕も有ったので久しぶりに湧出岩へもお参りさせて頂きました。
この玉垣に囲われた岩こそが蔵王権現様が踏み割り、湧き出る様に出現されたという磐座。
ここから出現された蔵王権現は今の山上本堂の内内陣にある「龍ノ口」と呼ばれる岩へと降り立たれたと伝わります。
ちなみにここが山上ヶ岳の三角点となっています。

昔はシャクナゲやツツジなどに交じって草花が咲いていたようなのですが、今はお花畑とは名ばかりで一面にミヤコザサが広がっています。
しかし、1700メートルを超える高地でこれだけの平原が広がる様は花のあるなしに関わらず美しいものです。天気のいい時は勿論、ガスが出た時はまた違う幽玄な表情を見せてくれます。

谷を挟んだ向こうには稲村岳と大日山、遠くには大普賢や弥山あたりも望むことが出来ます。
日本岩で記念撮影。
ここからは左手に聖宝谷の奥に弥山方面。手前に稲村。
右手には大天井岳などの吉野方面。
その奥には左から金剛山・大和葛城山、奈良盆地から大阪のビル群、さらに奥には六甲山から京都の愛宕山まで条件が良ければ大パノラマが広がります。
宿坊前がご来光のスポットならば西に開けたここは夕日の絶景スポット。
大阪の夜景なども遠くに望めます。天の川も手が届きそうに見えます。
鹿と男性しか居ませんが・・・。

宿坊に戻ってお風呂を頂き、夕食。
よもやま話に花を咲かせながら夜は更けて行きます。
山上ヶ岳は日帰りで十分お参りできますし、宿坊に宿泊するお金に少し足せば麓の温泉でゆっくりお湯に浸かって美味しい料理を頂けます。
しかし、ご本尊出現の霊山でお山の霊気に包まれて一晩を過ごすことが出来るのは宿坊に泊ればこその贅沢なのです。

さてさて、ようやく一日目の終りまでたどりつきました。
過去のブログを読み返してみて裏行場の事を詳しく書いたことが無かった事に気づいて少し説明をしながらのブログになりました。
次回はもう少しサクサク進んでいきますのでもう少しお付き合いください。


←前回のブログはこちらから

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