令和2年秋の入峯修行 前鬼④
令和2年秋入峯、前鬼裏行場の修行記録もいよいよ大詰めです。
両界の窟から来たルートを少し戻って屏風の横掛けに入って行きます。
大きな岩壁のちょっとした足場や木の根に落ち葉が降り積もって出来たような道なき道を進むのが「屏風の横掛け」と呼ばれる場所です。
樹木もある程度茂っているので、気にしなければそれ程高度を感じずにいれるので平気な人は平気ですが、一度気にして下を覗き込んでしまうと木々の切れ間に切れ落ちた岩壁が見えて、今自分がいる場所がどういう所かを自覚してしまいます。
その、屏風の横掛けを進むと出てくるのが「天の二十八宿」の行場です。
取り掛かりから急な岩場に新しい鎖梯子が掛かっていますが、この辺りはまだまだ序の口です。
この取り掛かりの部分を登ると、垂直の崖方向への登りとなります。
その登りの鎖に架かっているのがこちらのプレートです。
鎖を寄進した先達衆や、前鬼不動坊の細工人の氏名、釈迦が岳とこの行場の秘歌(ご詠歌)とともに、
「弘化三年丙午四月吉日」の文字が見えます。弘化三年は西暦に直すと1846年。
今から174年前の幕末期に取り付けられたものであることが分かります。
この鎖を頼りに天の二十八宿を攀じることになります。
余談ですが、この弘化三年四月中旬は今年コロナ禍の中で世間を賑わせた「アマビエ」が肥後国(熊本)の海に出現した年でもあります。
安全を祈る般若心経が唱和される中、垂直に近い岩場を心もとない鎖梯子一本を頼りに上って行きます。
足場からの高度だけではなく、足場の下は屏風の横駈けから続く切れ落ちた断崖。
落ちれば命を失う事になりかねません。
しかし、あまりゆっくり慎重にもしていられません。
なぜならば、後続の修行者はみな足場の不安定な「屏風の横掛け」で先行の者が進むのを待っているからです。
ようやく鎖場を登ってもまだ安心する事は出来ません。
今度は切れ落ちた岩場の横駈けです。
個人的には鎖場よりもこちらの方が恐ろしいです。
一番先頭を行く大先達が伝える足の置き方や手の掛ける場所を正しく後続に伝えながら前進します。
「天の二十八宿」とは、暦の下段に書かれている「28宿」のことで、日の吉凶を表します。
これは天球上の太陽の通り道を凡そ一月づつの12の宮(黄道12星座)に分けるのに対して、天球上の月の通り道をおよそ一日づつの28(27の説もあります)に区切って吉凶を占うものです。
私見ですが、古来「地の三十六禽」「天の二十八宿」を超えるという事は、我々の生活や心の内にある煩悩執着も、星宿がもたらす運勢吉凶も乗り越えて、上救菩提 下化衆生 の菩薩道に苦修練行する事こそが修験行者の肝要であることを教え諭して下さっているのではないでしょうか。
無事に皆が行場を終えさせて頂いた感謝と安堵を胸に、いよいよ三重滝の最上段である「馬頭滝」を目指して出発。
次回は馬頭滝から直会までの最終回になる!予定…(^^;
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