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令和4年夏期入峯修行③浄心門~鐘掛岩

彼岸の中日も過ぎてすっかり秋めいてきましたが、ブログはまだ夏の入峯を追いかけています。
もう暫く気長にお付き合いいただけると幸いです・・・(^^;

洞辻茶屋を抜けるとすぐ右手に「出迎え不動」が我々修行者を迎えて下さいます。
定かではありませんが、かつてはこの辺りに大峯奥駈け75靡68番目の「浄心門」が建っていて「九穴蔵王」がお祀りされていたと伺ったことが有ります。

気を引き締めて、いよいよ山上ヶ岳の行場へと足を踏み入れてゆきます。

洞川地区の陀羅尼助を商うお店の出店兼接待所が軒を連ねるダラスケ小屋を抜けると眼前に木々に包まれた山のピークに大きな岩場が見えてきます。これが表行場のひとつ「鐘掛岩」です。
天候が悪く写真では見えにくいですが、小屋の奥にある山の一番高くなっている所の岩場になっている所です。
2・3枚目の写真は過去写で晴れている時にズームで撮った時の物です。

少し目線を上げないとこの景色は見えないので、正面のダラスケ小屋と足元に気を取られてここから鐘掛岩が望める事を案外知らない行者さんも多いのです。

ダラスケ小屋を抜けて暫く登ると「わらじ履き替え所」と呼ばれる場所に出ます。
かつては此処からが山上本堂(現・大峯山寺)の内境内ということで、ここでボロボロになった草鞋を履き替え、身支度を整えて表行場に臨んだところという事で、谷側に生える木々の枝には投げ捨てられた草鞋がまるで花のように引っ掛かっていたと伺っています。

わらじ履き替え所から先は暫く階段での登りが続きます。
振り返れば過ぎてきた大天井から吉野方面の山々が見渡せる絶景ポイントなのですが、ここまでで足の疲れが出ている我々には階段の段差ぶん足を上げて登るのがとてもキツくて景色を見る余裕のある人は多くは有りません。
喘ぎながら掛け念仏をかけて登り終えると鎖の掛かった岩場に突き当たります。

ここが「油こぼし」という岩場でそこから「小鐘掛」「鐘掛岩」と一連の鐘掛岩の行場が始まります。

この「油こぼし」「鐘掛岩」にも役行者の江州掛川の「長福寺」を舞にした伝承があり、その伝承にまつわる梵鐘が今でも山上本堂に現存しているのですが、詳しくはまたの機会に譲らせて頂きます。

小鐘掛を登って鐘掛岩の直下に出ると鐘掛岩の行場を睨むように「理源大師」が迎えて下さいます。
諡号を理源大師と申されますが御名は聖宝と申され弘法大師の孫弟子にあたられます。
南都東大寺に修行中、時の帝の命により役行者以降衰退していた大峯の入峯を再興され、吉野川に渡し場を設け、山中の大蛇を退治して金峯山隆盛の基を築かれて、修験中興の祖とされます。

後に京都笠取山に瑞縁を得られて醍醐寺を開かれ、吉野鳳閣寺において最勝慧印法流の灌頂を開壇されて真言系当山派修験の祖となられます。

峯中では諡号の理源大師より「聖宝尊師」と親しくお呼びする事の方が多く、当山方の修験者のみならず修験中興の祖として尊崇する行者は多くいます。

聖宝尊師にご挨拶をして、新客はいよいよ鐘掛岩の行場を行じます。

鐘掛岩直下の役行者様に修行の安全を願って勤行をあげさせて頂き、修行の心構え・注意点をお伝えしている時でした。
アトラクションに乗り込む前のような新客の発言や態度に、大先達として久しぶりに大声を上げて𠮟りつけました。

「お山をなめて、修行する心づもりが無いなら金は返すから今すぐ山を降りろ!そんな奴と一緒に修行する事はでけん!今すぐ帰れ!」

普段の私を知る人は、語気を荒げて目を剝いている姿を想像できないという人が多いですが、お山では別です。

僅かに気を抜けば命を落としかねない場所を行じさせて頂きます。
自分の命のみならず、同行の命を危険にさらす事さえあります。


何より、その修行を受け入れて下さるお山や見守り導いて下さる神仏に不遜な態度で臨むことは修験の行者として決して許されるものではありません。

山登り・岩登りがしたいなら山岳ガイドに案内して頂いた方が余程しっかりと教えてくださいます。

私たち修験者が先達をするのはあくまでも「お山での修行」です。

「修行でお山に登らせて頂く」この心構えが無ければお山の修行は無意味です。
しかし、その一つの事さえ心に持っておけばお山は限りない気付きを与えて下さるのです。

無事に鐘掛岩の行を終えさせて頂いたお礼を頂上の役行者様に申し上げ、九穴地蔵を拝し、秘歌の歌詠みを行います。

「鐘掛と 問うて訪ねて来てみれば 九穴の蔵王下にこそ見れ」

鐘掛け登り終わって振り返れば、先程休憩した洞辻茶屋の屋根が遥か下に見えています。
かつてその場所に有った浄心門の「九穴蔵王」を下に見ている・・・と一見ただ単にその様子を詠んでいるだけの詩に思えますが『秘歌』と言われる如くこの詩には大事な教えが秘されています。

鐘掛岩が「弥陀の来迎石」ともされる事、大峯が弥陀の浄土や都卒の内院とされる事、金峯山自体が古来より九品浄土の軸である中品中生の浄土とされてきたこと。そもそも「九穴」とは何を表すのか・・・
それらを踏まえた修験の教えが「浅略」「深秘」と入峯の回数を重ねることで明かされていきます。


秘歌に込められた修験の教えを先達から伝えられて鐘掛けの修行がようやく終わりますが、ホッとするのもつかの間、続いてかの有名な「西の覗き」の行場へと向かいます。

というわけで、西の覗き以降はまた次回に。
まだ暫く終わりそうにありませんが、なるべくスピードアップして更新したいと思いますのでお付き合いください!

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