1. HOME
  2. 慈唱院だより
  3. 令和4年夏期入峯修行⑥投げ地蔵~阿古滝

令和4年夏期入峯修行⑥投げ地蔵~阿古滝

語らっている間に山上での夜は更けて、1日の疲れも有って皆が泥のように眠っていた夜中の2時・・・
その眠りを脅かす程の激しい雨が宿坊の屋根を叩きます。
余りの激しさに何人かは身を起こして雨音を聞いています。

自分も思わず身を起こしたついでにトイレに・・・
同宿の人と廊下ですれ違って思わず「えげつないなぁ~」とお互いに声を掛け合います。

山上では雨風が強まってよくある事ですが、
「起床してこの雨が続いてたら翌日の行程を考え直さなければいけないなぁ・・・」
と考えながらも、最終的には御山にお任せするしかないので治まっていることを信じてもうひと眠り・・・。

翌朝は4時起床。
幸い霧雨は降っているものの穏やかな朝です。

身支度を整えて、4時半から東南院参篭所の内陣に上げて頂いて朝座の勤行をお勤めさせて頂きます。

天気が良ければその後、前の庭からご来光を拝ませて頂くのですが、今年は残念ながらご来光は望めそうにありません。
しかし、あの雨が治まってくれただけで有難いです。

雨でのカッパの着脱や行程が押すことを考えて、予定を早めて5時に朝食を頂きます。
温かいお味噌汁が沁みわたって体が起きてくれるのがわかります。

食事の片付けをお手伝いして最終の身支度を整えたらお世話になった山上東南院の皆さんにお礼を申し上げていざ出発!
弱い霧雨は残っていますが、夜中の豪雨を思うと良く回復してくれました。
ただ、この後は笹原の水滴や雨にあたる箇所も有りそうなので任意でカッパ着用にて歩かせて頂く事に。

山上本堂前で般若心経一巻の短いお勤めをさせて頂いていると、代僧で上がってくれている佑昌くんが見送りに出て来てくれました。お礼を言って山上本堂を後にします。
採燈護摩の道場から振り返ると、正面からとはまた違う山上本堂の姿を拝することが出来ます。

ここから先は山上参りの道から奥通り、いわゆる奥駈け道に入って行きます。
山上迄の道のようには整備が行き届いていない道で雨で足元が悪いので慎重に進ませて頂きます。

笹原をかき分けて斜面を下って行くと少し開けた鞍部に出ます。そこが「化粧(けわい)の宿」です。
熊野側から入峯して来た門跡や行者がここで装束を整え、稚児に化粧を施したとも伝わる場所で、吉野川の柳の渡しから吉野山を越え、青根ヶ峰・大天井岳・山上ヶ岳をへてこの「化粧の宿」に至るまでを「金峯山」といい、金峯山寺の支配が強く及んだ領域でありました。
この先からは当山方修験の根本道場である「小篠」の支配領域となっていました。

写真は地蔵岳手前の広い鞍部ですが、ここを化粧の宿と伝える先達もおられます。

先の鞍部から地蔵岳のピークをかすめるように奥駈け道は続きます。
その道中、奥駈道の傍らに特徴的な石が立っていますがこの石が「投げ地蔵」です。
役行者が1000日の修行の末蔵王権現を祈り出すその時、本地三尊が表れるその前に更に二尊の出現が有ったと伝わります。
先ず初めに弁財天。この尊は天河に移って弥山の頂に鎮まり「天河弁財天」になったと伝わります。

その次に出現されたのが地蔵菩薩でしたが、役行者は「地蔵尊は慈悲万徳の尊、その姿は柔和にして六道をよく導く素晴らしい尊ではあるけれども、我が道(修験道)の本尊としては相応しからず」と、なんと出現された地蔵尊を放り投げたと言われます。
投げられた地蔵尊はこの地蔵岳の場所にひとたび降り立ちますが、更に山を下られて川を遡り川上へと進まれてある場所からピタリと動かなくなりました。
その地蔵尊を村人が大切にお祀りしたのが川上村「金剛寺の地蔵菩薩」であると伝わります。
地蔵尊が川上へと歩まれたことが「川上村」の名前の由来とするとも言われる伝承の地がこの「投げ地蔵」です。

お地蔵様を投げるとは少々荒くたいお話しですが、修験道は「即身即仏」つまり生まれ落ちたこの身そのままが実は仏である事を悟る事を目指す教えです。
生まれ変わり死に変わり六道を流転しながら善業を積み悟りを目指すという教えを本分としていませんので、そういう事を知らしめる方便としてお地蔵様を投げうたれたのではないかと私は考えています。

投げ地蔵を過ぎて少し進むと写真のように「阿古滝」と案内のある場所に出ます。
ここは「地蔵辻」と呼ばれる場所で「阿古滝」「瑪瑙の窟」の行場へと向かう分岐点です。

昔の奥駈は今のように吉野熊野間を歩くだけではなく、100日程の日数をかけて各宿で逗留し、そこを拠点として峯中の様々な滝や窟へと修行に出かけたのですが、明治期の神仏分離令から修験道禁止令の法難の時代に多くの口伝や秘所が失われ詳しい場所や行き方が分からなくなってしまった行場が沢山有ります。

幸いこの阿古滝や瑪瑙の窟は山上ヶ岳から近い上、上多古からの沢登りのルートも存在する事から、辛うじて行き方が分かっている行場の一つです。

往復してお勤めをしていると三時間はゆうに掛かってしまいますので一般の入峯修行では立ち寄る事は先ずありません。
当山の夏期入峯修行でも立ち寄りませんが、折角ですので別日程で修行させていただいた時の写真で簡単にご紹介させて頂きます。

以下の写真は別日程にて行った阿古滝・瑪瑙の窟修行の際の物です。

地蔵辻から案内に従い薄い踏み跡とテープを頼りに谷を下ります。
途中、シャクナゲの群落をかき分け、急斜面に足を取られながら一時間強、延々と下り続けるとやがて沢の音が聞こえてきます。

下りの途中では天気が良ければ山上の裏行場の岩群や平等岩もハッキリと見ることが出来ます。
所々踏み跡が不明瞭な所や石楠花が密集していてテープを見失いやすい個所もありますし、本来のルートから外れて急斜面の難ルートについているテープも有ります。
また、途中気を付けないと違う谷筋に下ってしまう可能性のある場所も有りますので、初めての方は必ず先達を付けられることをお勧めします。

音の聴こえていた沢に降り立つとすぐに阿古滝の落ち口になっています。
お不動様がお祀りされていますので勤行を上げさせて頂きます。
雨などで水量は激変しますのでくれぐれも危険の無い様に気を付けて頂きたいと思います。

阿古滝の落差はおよそ50メートル。
ほぼ垂直に流れ落ちています。
写真は滝横の尾根から撮ったものですがとても全容は収まり切りません。

ここから滝壺へ行く事も可能ですが、両側が切り立った崖になっているため大きく巻いて下らなければいけません。
元の落ち口に戻ってくるのに1時間は見ておかなくてはいけません。

滝壺から阿古滝を拝するもう一つのルートは川上村の上多古林道から上多古川に入渓して沢登りで阿古滝谷を遡上して辿り着く必要が有ります。

上から下っても下から登っても山深く標高差のある場所にある為に中々時間と体力の必要な行場です。

因みに滝壺から見上げた阿古滝はこんな感じです。
この時は水量が比較的少ない時でした。

阿古滝の落ち口の上流にはそれはそれは美しい渓流が流れています。

行くたびに(キャンプ出来たら気持ちいいだろうな…)と思いますが、行き帰りを考えるとあまりにも難易度が高すぎます。

瑪瑙の窟にはこの渓流の上流を目指します。

流れも穏やかで、巻くのも簡単なので濡れる事無く上流を目指せます。

私は日暮れの関係も有って5月6月の新緑の頃に訪れる事が多いのですが、秋の紅葉の時期もさぞ美しいと思います。

ただ、暗くなる前に下山できるか微妙なのでチャレンジできずにいますが、いつかビバーク覚悟で行ってみたいと本気で思っています。

およそ1キロ程で渓流は終わり滝の下に辿り着きます。
この滝の1段目の滝壺の脇に「瑪瑙の窟」の入り口が有ります。

滝の左手から斜面を登って1段目の滝壺に着きます。
左手にある岩肌の割れ目に人一人が這ってようやく通れる穴が開いていますが、それが瑪瑙の窟の入り口です。
中は真っ暗なので懐中電灯などで照らして中に入ります。

中に入ると入り口からは想像できないような広大な空間が広がっています。
4・50人は入れる広さの空間にお不動様がお祀りされ、前には護摩を修行したであろう痕跡も見て取れます。

瑪瑙の窟の名前の通り縞状の岩肌には、光を反射して輝く苔類がびっしりと生えています。

ライトの明かりではいまいちよく分かりませんが、ローソクや護摩の炎の明かりの下では黄金色にキラキラと輝きます。

いにしえの行者さん達は奥駈道から外れたこういった場所を幾つも幾つも巡って修行されたのだと思うと、その修行の深さに感嘆すると共に、今その場所に立たせて頂いて祈りを通じて繋がらせて頂けている事が何とも有難いといつも感じます。

さて、夏期入峯修行の本題から少し外れて「阿古滝・瑪瑙の窟」をご紹介しましたが、次回は本題に戻って当山方修験の根本道場であった「小篠の宿」から。やっとゴールが見えてきた気がしますが、もう暫くお付き合い下さいませ!

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

関連記事

おすすめ記事

最新記事