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令和4年夏期入峯修行②二蔵の宿~浄心門

(↑のアイキャッチ画像は鞍掛です)

九十丁から10分程足慣らしをしながら登ると二蔵の宿(百丁茶屋)跡に到着します。
かつては峯中でも最大級の茶屋が建っていた場所で大峯75靡中69番目の靡です。
吉野山から山上ヶ岳の中間にあり、旧来の道はここから大天井岳の急登を登る事になるので往時の修行者達はここで一息ついて山上ヶ岳を目指したのでしょう。

現在は吉野古道保存協力会によって建立された二蔵宿の看板の掛かった立派な避難小屋が、修行者や登山者に開かれています。

この地には古道保存協力会によって造立されたお不動様もお祀りされていますが、先ずは古来よりの拝所である役行者様の祠で勤行させて頂きます。

時刻は8時過ぎ,ここで第1回目のお昼ご飯タイム。おにぎり1個を頂きます。
当山の入峯修行では穀断ちの精進をして頂きますので、みんな久しぶりのご飯の美味しさを嚙み締めて思わず笑顔で頂きます。

ここで新客さんにお杖の使い方や峯中での注意事項を伝達していよいよ本格的に出発です。

大天井超えはとても大変な道で昨今は使われる事が少なくなっています。当山でも在来道の巻道を進んで五番関を目指します。

ここからは本格的な山道に入って行きます。
山上参りの道なので比較的整備して頂いていますが、洞川道に比べて距離も長く往来も少ないうえに、荷上げ道であった洞川道に比べて自然の山道で道幅も狭くなっています。

気を抜いて滑落すれば命に係わるような箇所や山崩れで頭上から落石の危険のある箇所など、ともすると気を抜いてしまいがちな道ですが修行の道であることを再認識して気を引き締めて歩ませて頂きます。

二蔵宿を出発して一時間弱。
ガレ場や沢を超えながらすこしづつ標高を上げると昔はシャクナゲ小屋(茶屋)が立っていた広場に出ます。よく見ると往時の茶碗のかけら等が土中からのぞいています。

ここから緩やかに下ると豊富な水が流れる沢に出ます。
我々が「水場」と呼ぶ場所ですがこの水が流れ下って林道から見える「大天井滝」になっています。

この水場で2度目の昼食。おにぎり1個を頂き、暫し休憩タイムです。
峯中ではだいたい長い休憩をした後には厳しい登りが待っている事が多いですが、この場所も例にもれず・・・

休憩を終えると大天井岳の鞍部に有る五番関を目指しての厳しい登りが始まります。

「懺悔懺悔 六根清浄」
掛け念仏をかけながら急登を登り上げると開けた鞍部に到着します。此処が現在の五番関。
吉野側の女人結界となっています。
息を整える間も無く、結界内に居られる役行者様に先ずは勤行をあげさせて頂きます。
この場所は本来「谷渡り」と呼ばれた場所で、我々が通ってきた在来道、大天井岳頂上から下ってくる古道、五番関トンネルからの登山道が交わる辻となっていて、名前の通りいつ来ても谷を渡る涼風が吹き抜けている場所です。

本来の五番関は大天井からの道へ10分程戻ったところにあり「碁盤石」とも言われる大きな石を拝します。その謂れは又の機会に譲る事とします。
女人結界はかつては此処よりうんと下の青根ヶ峰のあたり、旧女人結界のお地蔵さんが立っている辺りに有りましたが、1970年に山上ヶ岳頂上より半径四キロ円を書きそれに一番近い辻(道の交わるところ)とされ、現在の地に移されました。

女人禁制については様々な意見も有りますが、修行者としては女人禁制であることの意味を心得て、ただの登山にならずに修行をしっかりと行う事が肝要であると思っています。

勤行を終え、谷渡りの風に汗を乾かして頂いたのもつかの間、ここからはまた暫く登りが続きます。
更に「蛇腹」と呼ばれる当たりの付近は風も抜けず、気の滞る場所で不思議と体調を崩す人が多い場所でもあります。
掛け念仏をかけ、六根清浄をを心がけて自他の魔が修行の障礙をなさないように一歩づつ歩ませていただきます。

風もなく蒸し暑い登りを登って行くとまるで大蛇が通った後のように道がえぐれて切通しのようになった場所に出るとそこが「蛇腹」です。
実際には山に降った雨が流れ集って地面を削って出来たのでしょうが、この地に伝わる伝説とも相まって魔所と呼ばれるのも納得

実際に具合が悪くなる人もあって当山の過去の入峯修行でも過去2回落伍者がありましたが全てこの場所でした。

蛇腹を抜けてすぐの開けた場所に役行者様がお祀りされた小堂が有ります。
ここが鍋冠行者(なべかむり・なべかつぎ)です。

このお堂に祀られる行者さんは鉄鍋をかぶったようなお姿をされています。
この地は大蛇が住み着き、役行者が入峯された時にも火を吐いて妨げようとされました。持っていた鉄鍋をかぶり難を逃れた役行者は其の大蛇を封じて無事に入峯されます。
しかし、年月が経ち封印から逃れた大蛇が再び暴れ、遂に大峯に入峯する修行者は途絶えてしまいます。
其の大蛇を再び打ち破って八つに断ち切り峯中に封じたのが醍醐寺の開山、大峯中興の祖とされる聖宝理源大師です。

鍋冠の行者さんを過ぎて短い急坂を登るとこの行程で初めて尾根筋に出ます。
標高も1500Ⅿ近くなり、夏場は涼しい風が吹き抜ける気持ちのいい場所ですが春や秋には寒さに身が凍える場所でもあります。

この場所には疲労凍死した強力(ごうりき・荷上げや入峯修行のサポートを担った男衆)を弔う供養塔が建っています。

お菓子屋握り飯を供えて強力の霊をはじめ峯中の諸霊を弔うお勤めを行います。

奥駈けの峯中には大峯修行有縁の諸霊が集まるとされる楊子の宿をはじめ、廻向のお勤めをする習わしの場所がいくつかありますがこちらもその一つです。

新客さんは今までお勤めしていたお経と違うお経をお唱えするので経本のページが分からずにアタフタする場所でもありますwww

供養塔場を過ぎると最初の行場である鞍掛の岩場の下に出ます。
鞍掛岩とも鞍返り岩(くらがえりいわ)とも言われる岩場で鎖がかけられています。

馬の背に乗る鞍を掛けるように尾根に乗る場所だとも、鞍がひっくり返る程に急な岩場だからとも言われる場所ですが登りでは鎖は使わずにお杖をしっかり使いながら登って行きます。

鞍掛岩を登っている最中に雨がパラついてきたので登りきったところでカッパを着用。
再び尾根に出ると左手の視界が開けて晴れていれば山上ヶ岳の山容を間近に望むことが出来ますが今年はガスがかかって残念ながら拝むことは出来ませんでした。

更に進むと大きく開けた場所に出ます。
渇餌坂(かつえざか)手前の広場で例年であれば最後のお昼休憩をするところですが、雨が降っていたので甘味と水分補給をして出発します。

渇餌坂は上れば10分程度の岩坂ですが「餌に渇く」と書くように昔からひだる神(ひだり神・餓鬼憑き)によく憑かれると言われる場所です。

もう10年以上前ですが、本山の蓮華入峯の折に学僧の一人が餓鬼憑きになって突然冷や汗を流して一歩も動けなくなり、私と本山の先生とで行動食を口にほうり込んで九字を切りお加持をしてたちまち元気を取り戻したことがありました。

登山でいうとシャリバテという事になるのでしょうがまめに行動食をとって水分補給もしていたのでやはり餓鬼憑きという方がしっくりきます。

我々は餓鬼憑きを防ぐために食事の時には必ず米粒やお水を道端に投げて施餓鬼をします。

渇餌坂を上り終われば道は緩やかに開けた尾根を進みます。
やがてお不動様の銅像が見えてくると右手から洞川からの道と合流し「浄心門(洞辻茶屋)」に到着します。

浄心門は75靡中68番目の靡で靡としては出発した二蔵宿の次という事になります。
ですのでここまで紹介した五番関や鍋冠行者は靡ではなく「拝所」という事になりますが、殊に吉野山からの道には伝承や歴史に因んだ拝所が多く残っています。


浄心門の行者堂に勤行をして茶屋で休憩をさせて頂き最後のおにぎりを頂きます。
茶屋には掛け屋根がしてあり、腰掛を用意してくれてあるので雨でもゆっくり休むことが出来ます。
シーズン中の土日には茶屋が営業してくれていますので冷たい飲み物や温かい葛湯が頂けますし、無料で温かいお茶を提供してくれています。

飲み物などを購入しない場合には「茶代」として休憩のお礼を渡すのが昔からの習わしでしたが、今ではこのような事をされる講社はめっきり減ってしまったようです。

長く営業をつづけて貰うためにも、山の中で温かいお茶が無料で頂ける事を当たり前にせずに少し考えていかなければいけない事だと思います。

営業されてる方は良く存じてる方で久しぶりにお出会いしてお話しさせて頂きました。
「慧月さんとこ到着したら連絡くれるように宿坊の納所から頼まれてんねん!」
って東南院の宿坊に連絡入れてくれてる間に雨も上がったのでカッパを収納して出発準備!

翌日は奥に入ってこちらには下って来ないので茶店の亭主に挨拶をして出発!

いよいよこの先は鐘掛岩・西の覗きの表行場へと進んでいきますがその様子は次回につづく!

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