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令和4年夏期入峯修行⑤山上本堂~宿坊の夜

表の行場を無事に行じ終わって今晩お世話になる宿坊「東南院山上参篭所」へ宿入り・・・
と、その前に…すっかり前回抜けていた箇所の追記を・・・(^^;

というわけで前後しますが・・・鐘掛岩を過ぎて暫く進んだ所に「お亀石」があり
「お亀石 踏むな叩くな杖突くな 避けて通れよ旅の新客」と歌詠みをおこないます。

この詩は教義的な教えよりも修行の注意を新客に教えるものです。
このお亀石を踏んだりすると必ず山が荒れると言われ、踏んだり杖を突いたりする事を戒められます。

とは言え、現在は立派な垣で囲まれていますのでうっかり踏むようなことは有りません。
一説には役行者がこの岩の上で悟りを得た神聖な岩とも伝えられますが、多くの伝承では大峯山脈を貫く背骨の岩が露出したもので、この岩は熊野まで続いていると言われます。(玉置神社の玉石社が熊野側の露出地点とも伝わる)

奥駈けの峯中ではこのように無闇に立ち入ったり犯してはいけないような場所が有りますので、そのような心掛けを教える場所という意味も有るかも知れません。

お亀石を過ぎて暫く進むと吉野四門の三つ目の門である「等覚門」に辿り着きます。
実に金峯神社の修行門を過ぎてから長い道のりを超えて辿り着くこの門は「等覚」=菩薩が修行によって到達する五十二位の上から二番目。
つまり悟りに等しい高い境地に至ったことを示す門で、くぐればもはや迷いの世界に退転する事無く金剛心を得た境地に至るという事になります。

とは言え、そう簡単にそのような境地に至れるはずもなく、脇にお祀りされている役行者様にそのような境地を目指して修行を続ける事を誓いつつ進ませて頂きます。

このあと、前回のブログでご紹介した西の覗きを経て宿坊へと入らせて頂く事になります。
かつては南之坊や小松院など沢山の宿坊が立ち並んでいたそうですが、現在は大峯山寺護持院の五ヵ寺が山上に参篭所を構えて宿坊として営業をして下さっています。

尾根筋より東側の竹林院谷方面に「東南院」「喜蔵院」「桜本坊」「竹林院」の吉野側護持院4ヵ寺の宿坊が甍を並べています。標高1700メートルの山上にこれだけの規模の建物が並び建っている様は初めて訪れた者にはちょっとした驚きです。
一方、尾根筋沿いの西側に洞川集落を見下ろすように「龍泉寺」の宿坊が有ります。
龍泉寺の裏には洞川の集落から荷上げをするための架線がかかっていて、山上の生活を支えています。


あくまで宿坊ですので食事は精進となりますが、修行者のみならず一般登山者も利用することが出来、休憩や飲み物を購入することが出来ます。
日帰りの入峯者も暖かいお茶で持てなして下さって休憩できますが、その際には焼き印や人数分の飲み物などを購入するか「茶料」として心づけする事が習わしです。

こういった昔からの習わしが最近廃れていますが、山上という不便なところでの宿坊や茶店の経営、また運営に携わってくれる人々の事を大切にして後世に残していこうとする先達たちの知恵ですので、是非大切にして頂きたいと思います。


宿坊に入らせて頂いたら先ずは御宝前で勤行を上げさせて頂きます。
五ヵ寺の宿坊にはそれぞれ参篭所のご本尊がお祀りされています。
荷物を解く前に先ずはご本尊にご挨拶させて頂き、その後荷物を解いて休憩させて頂きます。
この休憩の時に頂く薪で沸かした温かいお茶が何とも言えず美味しいです。
寒い時は勿論ですが、暑い時期にもなんともホッとする美味しさが有ります。

本来はここで荷物をお預けして新客は「裏行場」へと向かうのですが、昨年に続いて本年も天候不良のため裏行場は中止とさせて頂きました。

写真は過去の裏行場「平等岩」のものですが、裏行場は表行場とは違い命綱も無い岩場や断崖を1時間余りかけて修行する危険な行場です。

実際に死亡や大きな怪我を伴う事故も起こっています。
(多くは先達を付けずに勝手に行ったり宿坊の忠告を聞かずに悪条件で入行した人たちです。

雨で岩場が濡れていると更に危険なため中止とさせて頂きましたが、本来はとても大事な新客修行が昨年・今年と出来ていませんので来年こそはお連れ出来るように願っています。


※写真は平成30年の裏行場「平等岩」の様子

裏行場が中止となったので全員で参道を通って山上本堂(大峯山寺)に向かいます。
途中に聳えるのが大峯山寺の山門であり、吉野四門の最後となる「妙覚門」です。

菩薩五十二位の最高位である「妙覚」の境地に至る門で、本来新客は山上本堂には裏行場を行じて本堂裏から参る事になるのでこの最後の門はくぐれません。
妙覚に至るには2度以上の修行が必要との事でしょうが、昨年と今年の新客さんはフライングでくぐらせて頂いたので来年以降しっかり裏行場を行じて頂かないといけません(笑)

妙覚門をくぐればいよいよ山上本堂の内境内。
隊列を整えて進列しお参りさせて頂きます。
何度お参りしても千三百年の聖地は身の引き締まる思いがします。

千三百年前、役行者の「末世汚濁を導き給う本尊の出現を!」との千日に及ぶ祈りに応えて、山上ヶ岳頂上の湧出岩から出現されたのが忿怒の威徳を顕す修験道の根本本尊たる「蔵王権現」様です。
その本地仏(本来の姿)は蔵王権現に先駆けて出現したとされる釈迦・千手観音・弥勒菩薩の3体の仏で、それぞれ過去・現在・未来の救済を表されるとされています。

湧出岩から出現された蔵王権現が降り立った場所が「辰の口」と呼ばれる現在の山上本堂内々陣にあたる場所とされ、その辰の口を覆う様に内陣の厨子、その厨子を更に覆う様に山上本堂は建てられています。

山上本堂も山下の本堂にあたる吉野山の蔵王堂でも、その内陣には3体の蔵王権現が本尊としてお祀りされています。
それは本地仏である釈迦・千手・弥勒それぞれのお徳を表すためで、同じ仏が三体本尊としてお祀りされるのは大変珍しいお祀りの仕方です。

本年は輪番住職の桜本坊の代僧(桜本坊のご住職の代わりに山上に詰める役僧)に師僧の息子さんで、私が会長を務める青年会の会計を務めてくれている後輩が登ってくれているので特別に内陣へ上げて頂きました。

山上本堂の中には有名な「秘密の行者」さんをはじめ、鐘掛岩の伝承を伝える「長福寺の梵鐘」や造像例の殆どない「大峯八大金剛童子」の仏像などが有るのですが意外とお参りされた方は少ないのではないでしょうか。

山上本堂でのお詣りを終えて、希望者のみでお花畑から日本岩へ。
日本岩からは西側の展望が開けて、目の前に稲村ヶ岳・大日山から観音峯が眼前に連なり、北西方面には条件が良ければ遠く大阪の向こうに淡路島を望むことが出来ます。

大変眺めの良い場所ですが、昔は山上で人が亡くなるとこの岩場から下の谷に遺体を投げ葬った山上の墓所でもあったところです。
今のように架線やトロッコも無い時代には麓まで運ぶのは大変だったのでしょう。
無論、山上に入る時にはそのように葬られる事は承知の上で修行や寺院の護持に入った訳です。

宿坊に戻るとお風呂を沸かして下さっています。
とは言え、そこは山の上の事で湯舟に浸かるようなことは出来ません。
浴槽に足し湯をしながら湯桶に3杯(雨水を利用するのでその時の水量で増減します)を上手に使って体を洗って終わりです。

当たり前のように湯船に浸かれる日常が改めて幸せな事なんだと感じると同時に、汗や雨で濡れた体には湯桶3杯とは言え温かいお湯に触れてさっぱりと着替えると生き返る思いで、山の上でのお湯にこれまた有難さを感じるひと時です。

お風呂には新客(初入峯者)から順番に入らせて頂きます。
慣れていない修行を頑張った新客からお湯を頂いてゆっくりと・・・というわけではなく、新客さんには食事の準備をお手伝い頂くためです。

下座行とも言いますが、初行を導いてくれた先輩や宿坊の方への感謝の奉仕です。

食事の準備が整ったら皆で頂きます。
日程を合わせている訳ではないのですが、昨年に引き続いて今年も普段から仲良くさせて頂いている東大阪の護国院さんの入峯組と同宿となり、賑やかに食事をさせて頂きました。

食事後は2階にある部屋で談笑をしたり明日の準備をしたりしながら就寝までの時間を過ごします。

当山の入峯は翌日に大普賢へ向かいますので必然的に宿坊で一泊させて頂くのですが、山上参りだけであれば宿坊に泊らなくても十分麓の旅館へ下ることが出来ます。
宿坊に宿泊する料金に少し上乗せすれば温泉に浸かって旅館の食事を頂き、フカフカのお布団で体を休める事が出来るのですが、それでも私は宿坊で一泊する事をお勧めします。

地域も世代も職業も超えて、1日同行として同じ修行を超えて来た仲間との語らいは他では得られない時間です。
晴れていれば真っ黒な空に広がる天の川を目の当たりに出来ます。
雨や霧の日には幽玄な世界が広がり静寂の中に雨や風の音が沁みます。
朝には素晴らしいご来光を拝めるかもしれません。

しかし、それは副産物です。
何より素晴らしい事は御山の霊気に包まれて一晩過ごさせて頂くという事です。
1300年の祈りに包まれた霊気が一番澄み渡る時間に身を浴していられるのは御山に登らせて頂いて、宿泊した者だけの特権です。
そんな事を実は思いながら…しかし賑やかに夜は更けて行きます。

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