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令和元年夏期入峯修行報告1

去る8月3日~4日にかけて当山恒例の夏期入峯修行が遂行されました。

お盆の行事などもあり報告が遅くなってしまいましたが、これから何度かに分けて今回の入峯修行の様子をご紹介したいと思います。

今年の入峯修行には、山上ヶ岳登拝組と大普賢岳登拝組あわせて30名を超える多くの方にご参加・ご修行を頂きました。

一泊二日の行程で行う「山上ヶ岳登拝組」には3名の新客(初めて入峯修行を行う参加者)を含む11名が入行して頂きました。

8月3日午前4時30分

各々が入峯の装束に身を整えて慈唱院本堂に参集。

入行の報告と修行の安全を祈ってご本尊様に御法楽をお勤めさせて頂きます。

その後、修行の心得などを大先達を務める住職からお話し頂き、配車のお手伝いを頂く講員さんの車に分乗して吉野の本山「金峯山寺」を目指します。

本山に到着し、蔵王堂の朝座勤行に参座させて頂き、ご本尊蔵王権現様と、御開祖役行者様に入峯のご挨拶を申し上げます。

当日の朝座勤行は五條永教執行長がお導師をお勤め頂き、願文表白にて慈唱院の夏期入峯の道中安全・無魔成満・仏果増進を御祈願下さいました。

回廊の行道にも参加させて頂いたあと、蔵王堂境内にて整列して別格本山東南院まで進列します。

管長猊下のご自坊でもある東南院は、住職が学僧を卒業して1年間奉職させて頂いたお寺でもあります。

ご本尊の役行者様にご挨拶申し上げ、管長猊下に激励を頂いたのち、再び車に分乗して九十丁登拝口を目指します。

吉野からの正式入峯ではここから九十丁までも沢山の拝所に勤行しながら歩くのですが、時間の都合や参加ハードルなどの事情により、

当山の入峯修行は吉野から山上ヶ岳までのおよそ中間地点である九十丁から歩き始めることを通例としています。

その為、新客は大先達と同乗して本来ならば歩いて勤行するべき拝所の謂れなどの説明を聞きながら道のりを進みます。

勝手神社・水分神社(子守宮)・金峰神社などの拝所を経て、いよいよ九十丁に到着。

吉野道は山上ヶ岳迄のあいだに幾度か林道と交差しますがこの九十丁が最後の交差点となります。

送って頂いた皆さんにお礼を申し上げ、明日の大普賢での無事合流を誓っていよいよ山中に進列していきます。

吉野道の半分行程とはいえ、九十丁から山上ヶ岳までは優に五時間、勤行を上げたり新客さんに靡きの説明をしていれば六時間はかかってきます。

百丁茶屋(二蔵宿)や大天井岳のガレ場、シャクナゲ小屋跡などを超えて、大天井滝の源流と成る水場で食事休憩。

その後、急登を登り上げれば現在の吉野側の女人結界となっている五番関に到着。

かつては現在よりもうんと下の吉野山奥千本あたり、青根ヶ峰の辻が女人結界でありましたが、1970年大阪万博の年に現在の場所まで引き上げられました。

現在は山上ヶ岳頂上から半径4キロの円を描いて、そこに最も近い辻に女人結界が設けられています。

五番関は大天井岳を超える道と巻道の在来道、五番関トンネルからの登山道が交わる辻となっています。

信仰上の理由から女人禁制となっている山上ヶ岳、ここで女人禁制の是非は論じる事は差し控えますが、信仰上の事を女人禁制の理由としている以上、

きちんとした信仰と修行を行わなければ山上ヶ岳の意義は大きく損なわれる事になろうかと思います。

山上ヶ岳が聖なる山としての輝きを失わないよう、これからもしっかりと修行の入峯を行っていきたいと思っています。

五番関から再び高度を上げて「蛇腹」を過ぎると、魔所ともいわれる「鍋冠(なべかむり・なべかつぎ)の行者」さん。

御法楽を上げ、暫く登ると尾根筋に出ます。このから辺りからいよいよ山上ヶを間近に拝する事が出来、宿坊の建物も見ることが出来ます。

ただ、山は見えてる間は其処には着かないんです。

鞍掛の岩場、渇餌坂などの岩場や急登を超えていけば、いよいよ洞川道との合流点「洞辻茶屋(浄心門)」。

現在では唯一有人で営業している茶店があり、役行者様がお祀りしてあります

勤行をあげて、残りのお昼ご飯を頂き、冷たい飲み物を頂いて一休み。

ここから愈々「鐘掛岩」「西の覗き」などの大峯の表行場に入っていきます…が、今回はこのあたりで。

次回は行場からスタートです。

 

 

 

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