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令和三年八月例祭「採燈壇護摩供」

暦の上では処暑を迎えたとはいえ、コロナの勢いも夏の暑さも未だに衰えを見せずにいるようです。

それらを吹き飛ばすかのように、酷暑の中でしたが院主様には8月の例祭として採燈壇護摩供を厳修していただきました。                   

三重県にも緊急事態宣言が発令される中でしたが、三方の窓や扉はすべて取り外し、扇風機や換気扇をフル稼働して換気をする中で、本尊諸尊への報恩謝徳と一日も早いコロナの終息を参拝の皆様とお祈りいただきました。

参拝者の方々にはマスク・消毒は勿論、「黙拝」としてお経も黙読していただき、徒弟だけがお経をとなえさせて頂きました。

お加持も体の接触がないように、 参拝者の方には撫木を渡させていただき、祈願を込めて体を撫で、御自身でお護摩の炎の中に投入していただきました。

換気のためにエアコンの効かない本堂の中はお護摩の熱気で満ちていきますが、熱さを感じさせない集中力で参拝者の方々の祈りを必死にご本尊に届けてくださいました。

法要も終わり法話では、登拝修行の「後詰め」のお役目についてお話をしてくださいました。

後詰めは、隊の「しんがり」を務めて一番最後を歩きます
隊のペースを守ったり、落伍者の介助を務めたりしますが、時には皆が修行によって落とした「穢れ」を受けてしまう場合があります。
そのような時には、作法を修して「切っていく」事もありますが、一番大切なことは「受け流す」ということです。

お釈迦さまも、最も大事な神通力は「漏神通力」で受け流すことのできる力だと御説きになっています。
全てを抱え込んで、自分の力で何とかしよう、何とかしてやろう、何とかしなくては・・・と受け取ってばかりいると心も体も参ってしまいます。
そんな時は、自分の出来得る限りの力を尽くして、あとはお山に、神仏にお任せしてしまう事によって苦しくなるような受け方をしなくなる。
いつも院主がお話になる「人事を尽くして天命を待つ」という気持ちが修行でも大事なんだとお話し下さいました。

これは、仕事や家庭での日常でも同じで、人からの期待や不満を気にしすぎて、本来の自分らしさ、自分の力を出せないで苦しくなってしまってはゴールまで元気に修行することは出来ません。
自分が尽くせることは一生懸命に行い、悩んでも仕方のないことは「受け流す」ことも必要であると教えていただきました。

長引くコロナ禍の中で、ニュース等ではネガティブなニュースや真偽のはっきりしない情報が多く流れています。
入ってくる情報に疲弊して心が萎縮するなら、自分が信じて出来得る対策をしっかり行って、心を乱すだけの情報は上手に「受け流す」ことも必要だと感じました。
いろんな情報を取捨選択しながら、このコロナ禍を学びと思い、自分や皆様にとっても良い勉強になったと思えるように過ごしていきたいと思います。

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