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令和3年夏期入峯修行(前篇)

令和3年8月21日(土)から22日(日)にかけて、慈唱院の夏期入峯修行が開催されました。
昨年はコロナの影響の為、山上ヶ岳の宿坊の受け入れも取り止めという事もあり、通常開催を断念して講中のみの修行を遂行させて頂きましたが、本年は山上の受け入れも再開されたことから、感染対策を行った上で入峯させて頂きました。

辺りはまだ暗い午前4時半。
参加者が慈唱院本堂に集合してきます。
毎年楽しみに参加頂く方はうきうきと、初めて参加の新客さんは緊張の面持ちで・・・
様々な思いや願いを胸に集まって頂いた皆さんに大先達として
「一歩一歩が修行であり、自分や同行の命を守る。一歩一歩を疎かにすれば修行はおろか、自分や同行の命を脅かす事にもなりかねない。その一歩の積み重ねが満行へとつながる」といったお話をさせて頂いて、管長猊下がよく言われる「即今只今」の修行に入らせて頂きます。

その後、ご本尊に入行のご報告と修行の安全を願って御法楽。
本年はお盆頃から時ならぬ雨続きで被害の出ている地域もあり、大峯の辺りも山崩れの危険個所が数か所ある事から特にご加護をお祈りさせて頂きました。

勤行を終えて先ずは吉野の本山へ。
蔵王堂の朝座勤行にお詣りさせて頂いて入峯の安全を祈願して頂いた後は、管長猊下の御自坊でもある大峯山護持院の東南院へ。
護摩堂の行者さんに御法楽を上げさせて頂き、管長猊下にお見送りを頂いて出発。

配車のお接待を頂く見送り部隊の車に乗り込んで九十丁の登山口を目指します。
新客さんには車中から拝所や靡きの説明をさせて頂きながら本来ならば歩いて行じさせて頂く行程の約半分を車で移動させて頂きます。

金峰神社から奥は林道を進みますが、この林道は崩落が多く、長雨の影響を心配しましたが大きく崩れている所も無く無事に九十丁へ到着。

装束を整えて荷物を背負い、隊列を整えたらいよいよ峯中に入らせて頂きます。
お見送りの皆さんにお別れして出発。
(ほとんどの方とは明日大普賢で再会する事になります。)

先ずは十丁先に有る百丁茶屋(二蔵宿)を目指します。
二蔵宿は吉野道最大の茶屋が有った場所で、今でも大きな広場に古道保存協力会が建てられた立派な避難小屋があります。

宿の行者さんに御法楽をお上げした後、おにぎり一つを頂きます。
精進でお米を断っていただいていたので久しぶりに食べるご飯の美味しさに皆の顔がほころびます。

ここからいよいよ本格的な山道に入って行きます。
総奉行の慧遵師から注意事項が伝達され、一同改めて気を引き締めて進ませて頂きます。
此処から本来は大天井岳と言う険しい山の急登を喘いで超えて行くのですが、現在は在来道の巻道を進むことが慣例となっています。

暫く進むと、今回の道中で一番心配していた箇所に到着。
普段でも大きく崩れていて通るたびに道が変わってしまうようなヶ所ですが、今回はおぼんからふり続いた雨でさらなる危険、悪路を覚悟していました。
が、想像よりはひどい崩れにはなっておらず、補修もして頂いてあったので足元は比較的しっかりしていました。
(とはいえ気を抜ける様な状態ではありませんが・・・。)

上を見ればいつ落ちてきてもおかしくないような大岩がいくつも剥き出しになっています。
前後の人が落石の確認をする中一人づつ慎重に、素早く崩れた谷を渡って行きます。

無事に全員が谷を渡り、巻道での登りを進むと大きな沢に出てきます。
林道からも見る事の出来る「大天井滝」の上流部に当たるこの場所で二回目の昼食タイム。
水の音に癒されながら暫しの団欒です。

山上参りや奥駈けでの「あるある」ですが、長い休憩を取った後にはキツイ登りが待っている・・・。
此処も例にもれず、この先五番関への長い登りが待っています。
「懺悔懺悔 六根清浄」
掛け念仏を掛けながら喘ぎ喘ぎ登りますが、新客さんは掛け念仏どころではありません。
すると、「声が出てない!声出せ!」容赦なく注意が入ります。

皆で声を出しながら長い登りを登っていると突如「六根清浄!!!」
掛け念仏終了の合図が入ります。
到着した広い鞍部が「五番関」現在の吉野側の女人結界になっている場所です。
古くは現在の場所より数百メートル後方、大天井岳から下ってくる道中に有る「碁盤石」の場所が靡きであったようですが、巻道を使うようになってからは現在の場所に移されたようです。


この場所は大天井岳からの道、在来道の巻道、五番関トンネルからの登山道が山上へ続く道と合流する辻になっています。
結界の脇の行者さんに御法楽を上げさせて頂いて、少し休憩させて頂きます。

五番関を過ぎると再び急な登りが続きます。
この辺りは風の抜けるところが少なく、湿度も高いので熱中症に気を付けて進みます。
暫く登っていくと、やがて大蛇が通った後のようにえぐれた地形の道になります。
この辺りが「蛇腹」と言われる場所です。
吉野山の地名に残る「辰の尾」・山上ヶ岳本堂の内々陣の「辰の口」と併せて、
金峯山・大峯が竜体とされることに因む名称です。

蛇腹道を進み、開けた場所に出たところが蛇腹茶屋の在った場所で「鍋担ぎの行者」「鍋冠の行者」と呼ばれる行者さんが祀られたお堂が有ります。
何故、行者さんが鍋をかぶっておられるのかは是非先達さんに教えて貰ってください。

ここに来て、後詰をお願いしていたベテランの奉行さんが体調不良を訴えて下山を申し出られます。
体調を確認して、救護・本人とも打ち合わせた結果、ここから別行動でゆっくりと洞辻から洞川へ下って、サポート部隊に洞川へ迎えに来てもらう事に。

新客さんも多かったので(あぁ、これは後詰病やなぁ・・・)とピンときたので、「山を下りたら体調回復するだろうから、明日良ければ大普賢組に合流して直会も参加して!」と言葉をかけて本隊は先へ進むことに。
【「後詰病」のお話は一つ前のブログ「8月例祭採燈壇護摩供」の法話に掲載しています https://www.siun-jisyouin.com/2021/09/4584

後から本人に聞いたところ、この時は翌日の大普賢への登山なんてとても無理で、直会も断ろうと思っていたようですが、洞辻から下山を始めてとたん突然、何事もなかったかのように体が軽くなって不調も無くなったそうで、結果翌日の大普賢組に元気に参加してくれました。

鍋冠の行者さんから暫く登ると、「鞍掛の岩場」(「鞍返りの岩場」とも)と呼ばれる行程で最初の岩場が出てきます。

馬の背に乗る鞍を掛けるように尾根に乗る場所だとも、鞍がひっくり返る程に急な岩場だからとも言われる場所です。
鎖が掛かっていますが、登りでは前の人の足を取ってはいけないので鎖は使わずに杖をしっかり使いながら登って行きます。

この岩場を超えれば、山上ヶ岳へ向かう尾根に出ることが出来ます。

鞍掛の岩場を過ぎ、山上ヶ岳を左に見ながら尾根を暫く行くと、再び大きく開けた場所に出ます。
そこで三度目の食事休憩を取って目の前にある登りに備えます。
この登りを超えれば洞川からの道との合流点である「洞辻茶屋」まではすぐですが、この僅か5分程度の登りが曲者です。
この登りは「渇餌坂(かつえざか)」と呼ばれ、昔から餓鬼憑きがよく起こる魔所とされています。
餓鬼憑きは地域によって「ひだる神」とか「ひだり神」とも呼ばれているもので、今まで元気だったものが突然脂汗を流し、体が冷えて力が入らなくなってしまい、体を動かすことが出来なくなってしまう現象です。

防ぐために、食事の時には必ず自分のご飯ひとかけを施餓鬼として施す事を入峯の行者は心得ています。

渇餌坂を掛け念仏を掛けて登り切り、しばらく歩くと洞川からの道と合流します。
この辺りが奥駈け75靡のうち68番の「浄心門」で現在は洞辻茶屋の中に役行者様がお祀りされています。
お勤めをさせていただき、葛湯や飲み物を購入して休憩させて頂きます。

同行のリラックスした笑顔でホッとした感が伝わると思います(^^)



かつて吉野道にも洞川道にも幾つも有った茶屋ですが、有人で営業しているのはこの洞辻茶屋だけになってしまいました。

少しほっこりさせて頂いたところでいよいよ山上ヶ岳の表行場に入らせて頂きます。

陀羅尼助小屋を過ぎると急な登り。
わらじ履き替え場を過ぎれば木製の階段が続きますが、ここまで歩き続けてきた足にはこたえる所です。
ついつい足元ばかりを見てしまいますが、目線を上げれば歩いてきた大天井岳からの稜線や吉野方面の山々を望むことが出来ます。

階段を登り終わると「油こぼし」「小鐘掛け」という岩場を登って理源大師の御像にご挨拶を済ませ、ここから「鐘掛け岩」の行場に入らせて頂きます。

油こぼしから鐘掛け岩にかけては役行者と掛川に有る長福寺との逸話が伝わっています。
その逸話に登場する梵鐘は現在も大峯山寺本堂に現存しています。
是非先達さんに教えて貰ってください。

鐘掛けをはじめ山上ヶ岳の行場は大変危険な場所であると同時に、先達に口伝として伝わるその場所でのしきたりや謂れを学ぶ場所で、ただ登ればよいというものではありません。
近年起こっている事故の殆どは先達を付けずに勝手に行場に入られて起こっています。
行場を行じる時は必ず資格のある方に先達をお願いして下さい。

さて、足を置く場所・手で持つ場所の指示を一つづつ守りながら行じ終わって見てみると、改めてその高度に驚かれる方が多いです。
上で見守ってくださっている行者さんにお礼を申し上げ、九穴の地蔵を拝して迂回路と合流したら歌詠みを行います。
各所で行うこの歌詠みで唱える『峯中秘歌』は一見何でもないような短歌調の文句ですが、秘歌と言うだけあって実は大変奥深い意味が込められています。
その意味を深く尋ねれば、修験道の即身即仏の教えや峯中での修行観が見えてくるのですが、口訣を知っている先達さんの説明が無ければ理解は難しいと思います。

鐘掛け岩を超えると次いで「お亀石」での歌詠み、吉野四門第三の等覚門でのお勤めを経て「西の覗き」へと進むのですが、ここで突然の雨。
一時雨でしたが、今回は雨が降ったら行場はやめておくと決めていたのでこの後の西の覗きと裏行場は今年はパス。
今年の新客さんには改めて行じて頂く旨をお伝えして宿坊に入らせて頂きます。

突然の雨に降られた我々一行を今夜お世話になる東南院の山上参篭所が温かく迎えて下さいます。
先ずは参篭所の御宝前で勤行を上げさせて頂き、温かいお茶のお接待を頂戴してひとごこち着かせて頂きます。
(写真は前回のものです)

そうしている間に雨も上がったので、山上本堂へお参りさせて頂きます。
外陣にて御法楽をお勤めさせて頂き、お札を上げて頂きました。
その後、特別のお計らいで内陣へ上げて頂き秘密の行者さんに参拝させて頂きました。

毎年であればお花畑に足を延ばしてゆっくりさせて頂くのですが、先程の雨で笹が濡れてしまっているので本年は見送って宿坊へ戻らせて頂きます。

今日は同宿に二つの寺院の山上参りが有ると聞いていましたが、どちらも普段から心安くして頂いてる方ばかりだったので、お会いする事を楽しみに宿坊へ戻って暫くすると、小篠まで足を延ばされていた二組が帰って来られました。

「せっかく雨に降られずに登って来たのに最後の最後で降られてしもたー」
賑やかな夜が始まりそうです。

後編へつづく

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