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令和2年 夏期入峯修行 ③


早めの昼食大休止を終えて行者還岳に向けて出発。

写真の通り、行者還岳の南方は切り立った断崖で、手前の丘や樹林の為に近くからではそれ程に見えませんが、大川口の登山道や遠く大台ケ原から眺めると前のめりに傾いたような姿で、このお山南面の急峻さが良く分かります。

御開祖役行者も熊野からの順峯修行の折、余りの断崖に一たび引き返されたとして「行者還」の名前が有ります。

役行者様が引き返された断崖を我々が登れるはずもなく、奥駈け道は避難小屋の脇から行者還岳の東を巻くようにして進んでいきます。

小屋から5分もかからず現在の58番靡となっている行者還りの拝所に到着します。大きな岩の割れ目に「金剛蔵王」の石碑がお祀りされていますが、昭和の初めごろまではこの場所に行者堂があって奥駈道に素屋根が掛かっていたそうです。

更に明治より前には現在の拝所より上に崖を這うように桟道がついていて大変な難路であって、ようやく桟道を下った現在の避難小屋の辺りが行者還宿(古くは『剣御山宿』)であったと三宝院末の古老に伺いました。

古の先達衆の難儀を思いながら勤行を上げさせて頂きます。

行者還の靡を過ぎて暫く進むと奥駈峯中では大変貴重な水場があります・・・が・・・今年は八月に入って雨が少なく本当に滴る程度。登山の方が汲んでおられたので我々は水場を横目にいよいよ行者還岳の登りへ。

写真の通りの急登。上の人が石を落とせば下の人間に直撃です。

随分傷んできていますが、この階段が無ければたやすく登れる斜面ではありません。

階段を上り終えても90度向きを変えて地道の急登がもうしばらく続きます。

石を落とさないように気を付けながら掛け念仏をかけて登ります。

尾根に出たところで道が二手に分かれます。北方向右手に進めば七曜岳方面に続く奥駈道。左手に進めばコブを超えて行者還岳山頂に至ります。

本来の奥駈では限られたお山を除いて頂上を踏むことはしません。今回のお行でも行者還岳の頂上は踏んでいませんが、せっかくなのでブログでご紹介させて頂きます。

山頂はシャクナゲや樹木が茂っていて展望は有りませんが、修験節律根本道場が各靡にお立てになった大錫杖が迎えてくれます。

しかし、シャクナゲの間を少し進んで南壁の上まで進めば、天候さえよければ素晴らしい展望が開けます。

正面の弥山、左肩の八経。その奥に見える稜線が熊野への奥駈道。画像左端は仏生から孔雀。

弥山から右へ修覆山・香精山からなだらかに下った尾根の奥に僅かに頂仙岳。右端に迷ケ岳。

香精山から右手前に伸びてくる尾根ののこぎり歯状の辺りが鉄山。

弥山から左手前に伸びている尾根が奥駈道で聖宝宿~弁天の森。歩いてきた一ノ垰の尾根道。下をのぞき込めば昼食を食べた避難小屋の屋根も見えます。

さながら行者還岳以南にある北奥駈の靡の総遥拝所のような場所です。

さて、次回は奥駈道に戻って七曜岳を目指します。

というわけで令和2年夏期入峯修行④につづく。

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