令和元年夏期入峯修行報告 2

さて、前回の洞辻茶屋からの続きです。
洞辻を超えると「ダラスケ小屋」を通り抜けて進みます。
洞川集落にある商店の出店が、通路の両側に屋根を差し掛けて小屋を出しています。
馴染みのお店の小屋で休憩し、お茶を頂いたり鉢巻や焼き印を頼んだりすることができます。
小屋の手前辺りから針路方向を望むと、遥か上に鐘掛岩の行場を望むことが出来ます。
小屋を超えて暫く登ると「わらじ履き替え所」と書かれた場所に出ます。
いよいよ山上本堂の聖域、表の行場に踏み入っていくという事で草鞋を新しく履き替えた場所という事です。
現在では、地下足袋や登山靴で入峯する人が殆どですので、そのような風習も無くなってしまいましたが、昭和の初めごろまでは脱ぎ捨てた草鞋が谷の木々に引っ掛かって、まるで草鞋の花が咲いているような光景であったと先輩行者から伝え聞きました。
さて、ここからは急な階段が連続します。
整備された階段ですので上りやすい・・・かと思いきや、ここまで歩き通して疲れた足には、膝をしっかり持ちあげないと上れない段差の階段はなかなか厳しいものが有ります。
ともかく、掛け念仏をかけながら一歩ずつ進みます。
階段を上り終えると「油こぼし」と呼ばれる岩場につきます。
昔は担いで運んでいた油をこぼしてしまう程の急登だからとも、油をこぼしたように滑って上りにくい岩場だからとも言われますが・・・
鐘掛け岩には一つの伝説が伝わっています。
(昔、役行者様が各地を修行の砌、江州掛川の長福寺というお寺に立ち寄って喜捨(お布施)を請われたところ、寺のものはみすぼらしいその行者を見て「生憎与える金銭は無いが、その釣り鐘で良ければ持っていくがいい」と言いました。勿論、大きな釣り鐘の事ですから持って行けるはずがないと思っての事でしたが、行者は「それは有難い」と杖の先に釣り鐘をひっかけて何処ともなく飛び去ってしまいました。
寺の大事な釣り鐘を持ち去られた寺の人々は大慌て、あのような不思議な法力を持った行者様は名のある方に違いないと調べてみると、吉野は大峯の役行者であることが分かります。
一行はお詫びかたがた鐘を返してもらおうと山上ヶ岳を登って来たところ、絶壁の上の松の木に釣り鐘が下がっているのを見つけます。喜んでなおも登ろうとしますが手前の岩場が滑って足を取られて前に進むことが出来ません。また、鐘までたどり着けたところで下ろす手立てもありません。
ついに鐘は諦めてお参りを済ませて江州に帰っていった・・・)
という事で、鐘の掛かっていた断崖の岩場を「鐘掛岩」。手前の岩場を「油こぼし」と呼ぶようになったそうですが、その伝説の鐘は現在も大峯山寺の中に現存していますし、掛川の長福寺(現在は曹洞宗の寺院)には江州役行者尊として寺院・近郷の守り神として役行者様をお祀りし、現在でも山上が岳への登拝を毎年続けておられます。
さて、油こぼし・小鐘掛の岩場を登れば目の前に鐘掛岩が迫ってきます。
此処で新客は荷物を下ろし、杖と共に度衆の先輩行者にあずけて体一つで行場に向かいます。
岩場の下にお祀りしてある役行者様に修行の安全を願ってお勤めをし、先達に九字を切ってもらって修行に臨みます。
「手は其処に!」「足は其処と違う!」「言うとおりにせえ!」
先達に言われるままに手を動かし、足を運んで全員が無事に修行を終え、上で迎えて下さる役行者様に感謝のお勤めをさせて頂きます。
振り返れば、過ぎてきた大天井岳や洞川の集落などが一望できる絶景が広がっています。
もう少し先に進みたかったのですが、鐘掛け岩の伝承をお話ししていたら長くなってしまいました。
今回はここまでとさせて頂きます。次回はどこまで進みますか・・・お楽しみに。
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