令和2年 夏期入峯修行 ⑥
今回は本隊組の最終回。水太覗きを出発して笙の岩屋から和佐又を目指します。
まずは目の前に聳える大普賢岳です。
大峯奥駈け道は多くの峰々の山頂すぐ側まで登っておきながら山頂は踏まずにすぐ脇を巻いてゆく事が多いです。
それは、峰々は曼荼羅諸仏の顕現であり、その頂を踏むことは畏れ多い故、近くまで登ってその山頂を拝するのですが、この大普賢岳は峯中の数少ない山頂を踏むことを許される峯の一つです。
金峯山寺や聖護院、三宝院の各本山や護持院が行う現行の奥駈け修行でも、山頂を通る道と山頂西側の巻道を通る道の両方が使われています。
私が古老から習った事を申し上げれば、大普賢に至る両道(山上側と和佐又側)には小普賢が存在するが、これは山の大小をもって言うだけではなく、小は顕教の普賢菩薩をあらわし、大は密教の金剛薩埵を表す。
よって密教・修験の行者は金剛薩埵と同体であるのでこの山の頂に立ってその事を観念するのである。との教導でした。
口伝による教えでこの件に関して書き記した伝書なども知る限り目にしたことは有りませんが、誠に含蓄のある教えと得心した事を記憶しています。
そのような教えもあって、山頂を目指したい所では有りましたが、先程から鳴り響いている雷の心配もあり、今回は巻道を進んで和佐又からの道との出会いへ。
そこから第63番靡大普賢岳の山頂に向かって勤行を上げさせて頂きます。
勤行が終わればここからは毎年下らせて頂いている和佐又への道。
ついつい気持ちも緩みがちですが、そんな時に事故やケガが起こるのが山でのセオリーなので気持ちを引き締めて進みます。
尾根から和佐又側に下って行くと、雷の音は遠くなりガスは掛かっているものの穏やかな天気。雷の心配がなくなって一安心です。
ガスに煙る和佐又側の小普賢岳を拝し、晴れていれば絶景が広がる石の鼻を横目に、所々に架かるこのルート名物の急階段を下ってゆくとやがて文殊岳(日本岳)のコルに出ます。ここで先発の女性組と合流。
女性組は毎年このルートをピストンしているだけあって、痛めた足ながら中々のペースで無事に下ってくれて一安心です。
この文殊岳のコルからもう一下りすれば鷲の窟に到着です。
見上げればまるで鷲のくちばしのような巨岩が迫り出しています。
これがもし落ちてきたら・・・
考えたら恐ろしいですね・・・。
この鷲の窟は、役行者を描く時によく岩窟に座しているお姿が描かれますが、そのモデルとなった場所とされています。
実は前鬼の裏行場にも鷲の窟があり、こちらもその候補地の一つです。
嘴の下には窟があって役行者と前鬼後鬼の御像がお祀りされています。
靡きではありませんが、こちらでもお勤めを上げさせて頂きます。
写真の通り、ガスが晴れて晴れ間も覗いてきました。
天気予報に反して、雨に濡れる事も無く有難い限りです。
鷲の窟のすぐ隣の大岩壁に大きく口を開けているのが、第62番靡きの「笙の窟」です。
古くから窟篭もりの行が行われた大峯峯中でも屈指の窟で、9月9日から正月3日までの百日間、五穀を断って厳寒の修行を超えた行者は晦日山伏と呼ばれて大変な尊崇を集めました。
近年でも金峯山寺の柳沢慎吾師や護持院喜蔵院の中井教善住職などがこの笙の窟で修行をされています。
例年はここで峯中護摩をお勤めさせて頂くのですが、今年は時間の関係もあって勤行を上げさせて頂いて先へすすみます。
ここからの道は比較的なだらかな道が和佐又まで続きます。
なだらかとは言え、足を痛めたものには下りはひと際辛いのですが、同行に励まされ、自らを鼓舞して一歩づつ進むしかありません。
辛い道のりも、楽しい道程もいずれ終りがやってきます。
和佐又の登山口に到着して、御山に向かって拝み返し。
修行させて頂いたお山に感謝の御法楽を上げさせて頂き、御山の行程は終了です。
あとは、車がまつ旧和佐又ヒュッテまであと一息。
宿入りの法螺を立てて、待ってくれているサポート隊の人に到着を知らせます。
拍手で出迎えて頂いて、冷たい飲み物を差し入れ頂き、皆安堵の表情です。
ここからはお楽しみの温泉と宴会・・・いや。直会です。
本隊の記録はこれにて終了ですが、サポート部隊の様子や満行式・直会の様子など、もう少しだけお付き合いください。
なお、沢山の登山者に長らく便を図ってくださっていた旧和佐又ヒュッテは現在取り壊しが進み、昔のヒュッテ前の駐車場は使用できません。ヒュッテ手前に無料駐車場が有りますのでこちらをご使用ください。(令和二年十月二日現在)
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